わじゅ日記

2001年6月29日(金)

今日、久々にはっぴんぐが年長組みの時のお母さんの会があった。
ほぼ3年ぶりということで、卒園当時妊婦だったお母さんは、すっかりスリムな体を取り戻してたし、
まだ歩けずに抱っこされてた弟妹さん達も来年入園で、みんなに制服のお古をねだっていた。
時がたつのははやいっすね〜〜
今日は朝から頭痛がしたので、薬を飲んでの出席。
車の運転は控えてタクシーででかけました。
お金を払う時ビックリ!!
財布の中には、千円冊が一枚だけ!!
あとは小銭がチャラチャラ・・・・・
何とかタクシー代ははらえたけど、食事代をどうしよう!!
帰りのタクシー代は??
と、真っ青になったんですが、かばんの中をせっせと捜すと、 小銭がチョコっとと、
手帳の中に、洗濯してしまってごわごわになって、使うのをためらっていた千円冊が2枚。
あ〜〜助かった。
「なんや〜この汚い千円札は!!」といわれながらも、会費を無事払う事ができました。
帰りはちゃっかり ちゃーちゃんに送ってもらって、ほんまたすかったわ〜
皆さんも出かける前には財布の中身をたしかめましょうね〜〜

2001年6月21日(木)

またぽるぽんネタだ。
あいつ、この間忘れ物の王者だったんだけど、 実はあの日、学校を失踪していたらしい!!
これはミント長男からの話だが。
裁縫箱を忘れたぽるぽんは、取りに帰ろうと、学校を抜け出たらしい。
かなり校区の端にあるから往復20分はかかるというのに!!
なんて考えなしなんだろうか!! あきれてしまうよ〜
しかし!大阪の事件以来、学校はぴりぴりしてます。
警察官も先生もうろうろしています。
それをかいくぐって外にでたらしい。(`へ´)プンプン
しかし、悪い事はできないもんで、
三条通りを、向こうから校長先生が歩いてこられたらしく、
仕方なくあきらめて、学校にもどったということだ。ったく!!

今日はまた、夕方姿をくらましてしまった。
もう6時だったとおもう。突然外の声に反応して出て行ってしまった。
「はとが川に落ちたみたい!助けに行ってくる!!」と言うと同時に飛び出していった。
しばらくして川を見ても誰もいない。川下に行ったな。と思ってはいたが、いっこうに帰らない。
だんだん心配になってきて、何度も外を見に行ったりした。
川におちたんだろうか?変な人につれてかれたのかも?
考え出すと不安になって、たまらなくなってきた。
旦那は、「鍵かけといたれ!!」なんていいながら新聞を読んでる。
心配ちゃうんか〜??もう。
とうとう7時になっても帰ってこないから、自転車にのって、川沿いを走った。
かなり向こうまで見に行ったが、誰もいない。
昨日の大雨で川の水は増えている。
捜索願??なんて言葉が頭をよぎる。
泣きたい気分で家に帰ると、「帰ってるで〜〜」と声がした。
公園の裏まわって帰ってきてん。やってさ。
「どあほ〜〜〜」と叫ばせてもらいました。

2001年6月13日(水)

二日続きで日記を書いたのは初めてじゃないだろうか?
昨日は忘れ物の王者だったぽるぽん教授、
今日はなんとつきゆび野郎になってしまった。
今朝は自分のために接骨院に行ったのだが、(送ってくれたメロディさんありがとう)
夕方は娘のために接骨院に。
ちょっと気になるな〜〜の先生の一言に、恐れおののき涙をためるぽるぽんさん。
思わず、「ミスママさんとこの末っ子ちゃんは毎日点滴がんばってはってんで。 そんなん 軽い軽い」
と、変な励まし方をして、念のためレントゲンを取りに整形外科を紹介していただく。
結果は、「どうも骨折してるみたい・・・」
2週間ほど固定する事になった。
明日からプール開きなのに、当分入れそうにない。
ぽるぽんは雨乞いをしている。
とりあえずは明日は雨になりそうだけど・・・・・
そして、今日の締めくくりは、はっぴんぐ画伯でありました。
9時半には寝ていたのに、先ほど起きてきた。
見ると、全身に真っ赤な大陸が・・・・・・・
ジンマシンだ・・・・・・
そういえば昨日ku−−ちゃんとこのお子ちゃまのジンマシンに、かわいそうにー
なんてレスしてたけど、もしかして、うつったのかな???
そんな訳ないよね!!(爆)
とりあえず抗ヒスタミン剤を飲ませて、濡れタオルでパタパタやっとります。
あ〜〜早く寝てくれ〜〜〜
今日の我が家は、病人続出!でした。トホホ

2001年6月12日(火)

朝、アレだけ言ったのに。
「こんなところに裁縫箱置いといたら忘れるで!!」って。
「わかってる!ご飯食べたら持って行くし!」とのたまわった。
前なら「は〜い」って、すぐにきく子だったのにさ。
ちょっとこの頃やりにくくなってきた。(小5)
でもまあこれも成長のしるしだ。
子供が出かけて洗濯も干してちょっくらコーヒーでものもうかいな。
っと思ったら、ポツンと椅子の上に裁縫箱が・・・・・・
情けないやら腹たつやら。
普段は忘れ物を届けない母なのであるが、
裁縫箱忘れると、何もする事ないやん。その時間。
布も入ってるしさ。今回ばかりは と勝手口からサンダル履いて車に乗り込んだ。
(学校までくらい、歩いていけよ〜〜せめて自転車にせんかい!)
家に帰ってほっと一息するまもなく、玄関のチャイムが鳴る。
開けるとそこには
これまたポツンと水筒が・・・・・・・・
情けないやら腹たつやら。
「お母さん今日は水筒忘れんといてや!」ゆうてたんは誰やねん!!
訪ねて来た人は、「何でこんなとこに水筒がありまんねや?」
「あ〜〜子供が忘れて行ったんです〜」と私。
「せやけど、中途半端なとこに忘れはったんでんな」とおっちゃん。
(あいつ〜〜また、玄関出たあとで、外で座り込んで靴はいとったんやな!!)
怒りは頂点に!!当然水筒は届けられる事はありませんでした。

2001年6月4日(月)

昨日は日曜参観、学校は各種?お父さんで一杯だった。
しかしいろんなオトウサンがいるね〜〜
やけにおしゃれなオトウサンもいるし、やけにかさの高いオトウサンもいる。
茶髪ロンゲのにいちゃんみたいなオトウサンは、案外子だくさんだったりする。
そして、昨日私の隣に立っていたオトウサンはなんせ臭うのだ。
どういったらいいのかたまらん臭いが風に乗ってやってくる。
煙草の吸いすぎちゃうんかぁ〜〜??って勝手に想像してたら、
授業がすんで気が付いた。
私の斜め後ろの棚に、水槽があった。
その中でかわいそうにカニちゃんが、ご臨終あそばされていたのでした。
その臭いというのはそこから風に乗ってきていたのでした。
オトウサンごめん!
でも、逆に私も「あのオカアサンやけに臭うな〜〜」って思われてたかも???

2001年5月30日(水)

太った。いかん!!
なぜだぁ?黒豆コーヒーに、さんざしドリンク、全然効果なし!
階段を上がるのがしんどいのだ。
このままではいか〜〜ん。

2001年5月24日(木)

朝からTVのワイドショーを見ては泣いている。
滅多にワイドショーを見ない人なんですが、今日は見ました。
そう、さくちゃん似の総理大臣が英断をしたからです。
そして控訴断念を聞いた人たちが喜びに涙するシーンを見る度に、
こちらも貰い泣きで、チャンネルを変えてはまたそのシーンで泣いております。
あの形を変えてしまった指先を見て、
リウマチで手が変形してしまっていた母をふと思い出したりもして、
なんだか姿がだぶってしまったりで、また涙。
そういえば子供の頃に通っていた日曜学校で、
「ハンセン病の人たちのために祈りましょう」といわれたことがある。
その時は怖い病気があるもんだとしか思わなかったけど、
本当のこわさは、「真実」と「人が思い込んでいること」とのギャップ。
そして、「人の痛みをみてみないふり」してしまう人の心だな。
そのお祈りをした時から、もう30年経つ。
その間私はのうのうと暮らしてきた。
その間苦しんで暮らしてきた人がいたんだなぁ。
何と長い時間だろう。

2001年5月17日(木)

家庭訪問。気になる事があった。
クラスで先生がこんな質問をされたらいい。
「AさんとBさんが遊ぶ約束をしていた。そこにCさんがBさんに、
今日遊ばない?と聞きました。みんなならどうしていますか?」
すると、大半の子供達が、
「Aさんと遊ぶから今日は遊べないと断る。」
というものだったそうです。
そんな中で、うちの長女だけが、大声で、
「え〜〜〜一緒にあそんだらええやん。Aさんにも聞いてみて。」
と答えたそうです。
そうなんです。うちの子はいつも来るもの拒まず。なんです。
先生がおっしゃるには、
「昔はみんなで遊んだし、私もぽるぽんちゃんと同じ様にして過ごしてきました。
そうするべきだとおもっていたんですが、今の子供達は違うんですね。
私が心配なのは、おそらく大半の子は、「Aさんと先約があるから」と断られても、
あ、そう。じゃまた。ですむだろうけど、ぽるぽんさんの場合はひどく傷つかれるんじゃないか。
と思いまして」・・・・ということでした。
今の子供達の大半の考えと、うちの子のギャップを先生は心配してくださっておりました。
そうです。そのとおりです。心配です。
傷つくのも心配だし、今の心をなくしてしまうのも心配です。
人間関係が昔とは違うんだね〜〜〜(ためいき)

2001年5月7日(月)

GWもようやく終わった。ほっ。
いつもは一人でいる間はずっと桜井君の歌声を流しながら過ごしてる。
子供がいると、「もー、たまには他のもきいたら〜」って言われるので、
エプロンのポケットにMDを放り込んでイヤホンで聞いてる。
今日は朝からこころおきなくスピーカーから大音響で流している。
今日はZERO LANDMINEを延々聞いていた。
すると学校から帰ったぽるぽん教授が歌詞を教えてほしいと言う。
仕方ないから歌詞カードを渡す。
歌えるようになりたいと言う。
これはもう聞いて聞いて聞きまくってもらうしかない。
ちょうどPCに録画されていたので、このあいだの番組をみせた。
それでようやく「Take away〜」のところだけ歌えるようになった。
そして・・・・・・・・・デビッドシルビアンを気に入ってしまった。
「この人ええ感じやな〜〜この人の歌い方がいちばんええわ。
なんか好きやわ。この人」
と連発して挙句の果てには
「お母さんがさくちんのこと好きやって言う気持ちがわかるような気がする。」
とおっしゃった。(爆)

2001年4月25日(水)

昨日、NHKでパルモア病院のことが放映されていた。
確か周産期医療を日本で最初に目指した病院だったと思う。
その本を読んだのはもう随分と前でかなり記憶から薄れていたが、
TVを見ているうちに少しずつ思い出してきた。
小児科の医師は三宅廉先生、産科の先生は椿先生、それと助産婦さんの名前が今出てこない・・・・
とにかく、すごく感動して読んだのを思い出した。(私はすぐ感動する、そしてすぐ怒る・・・)
TVには、その助産婦さんが出てらした。いいお顔をされている。
精悍として、凛として、それでいて愛情があふれ出る感じを受けた。
神戸の病院なので、話し方はおなじみの関西弁で、ユーモアがあった。
こんな風に年を重ねたいな〜と思った。
けど、私には今のところ使命というものがない。
ないというといけないな、持とうとしてない。っていうことだな。
子供が小さい間は、子育てが使命だったといえるけど、
二人とも小学生になって、親としては全力投球して、子育てをする時期は過ぎた。
これからどのように年老いていくのか、それを少し考えないとな〜と思った。
何か使命を持つというところにはまだまだたどりつけない。
毎日の自分の日常で手がいっぱいだ。
一日24時間全部自分のために使っている。

2001年4月9日(月)

文庫本での最新刊、宮本輝さんの、「草原の椅子」を読み終えた。
上下完で、昨日と今日とで読んでしまった。
私の才能は、よき友人とよき書物に恵まれることである。と前にも書いたとおもうが、
書物に関しては、そのタイミングたるや、すばらしいものがあり、
まるでその作家が私の日常をのぞき見していて、何事かを進言するがために書いてくれた。
と錯覚してしまいそうなほどである。実際は例によって文庫になるまで待っていたのだから、
もう随分と前に世に出ているのではあるが・・・・・・
となると、やはりその書物とのタイムリーな出会いは、私の運命の徳とでもいいましょうか・・・・
そんなことはどうでもよい!!
私はしたたか感動している!声も出せないくらいに心からこの本とのタイムリーな出会いに
感謝するばかりである。
全10章、最初の一章から、心にずしりと響くフレーズかあふれていて、各章ごとに幾度となく涙を流してしまった。
そうやそうや、ほんまやほんまやと、うなずきながら、それでいて自分の中の暗たる部分を見透かされているような表現に、
ふと読むのをやめて自分の胸に手を当ててみたりもしたのでした。
読んでいる間に、ふと、「傘の下の君に告ぐ」や、「everybody goes」が胸に浮かんできた。
第9章では、「終わりなき旅」を髣髴とさせるくだりもあった。
そんなところを含みつつ、輝さんが言わんとしてることが、私の中でもやはり、間違いなくその方向でいいのだと確認させてくれました。
近々読書コーナーに投稿しよう!!

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