わじゅ日記

 

2001年3月30日(金)
うちのはっぴんぐは4月から3年生だというのに、まだ一人で寝られない。
毎晩私が横にいてやらないとだめなのです。
けれど、その時にいろんな話をします。
今日は、寝る前急にこんなことを言いました。
H「おかあさん、Hが、大人になるまで、ちゃんと大事にそだててや。」
W「うんうん。もちろんやん。大事に大事に育てるで〜」
H「わたしな、これだけは言っておくわ。
Hが大人になって、子供を産むやろ。
もしもその子供が、病気やっても、手やおなかや脳やそれから どこかが
病気やっても、絶対に大事に大事に育てるで〜〜〜。」
W「そうかー。そうやな。」
H「なんでかっていうとな、どんなもんでも、みんな命があるやん。
この、枕も布団も、ビーちゃん(ビーグルのぬいぐるみ)も。」
W「う、う〜ん・・・・」
H「命があるって言うことは心があるってことやから、大事にするねん。」

いつのまにかいろんなことを考えて成長してくれていたんだな〜
この美しい心をそのままに大人になってほしいと、切に願います。

2001年3月27日(火)
気が滅入る日ってあるよな〜何がってことなく。とにかく笑えない日ってのが。
今日の前半はそんな感じでした。なんかズーンと気持ちが重くて、反応が鈍くて。
それで、子供のすること全部がイライラして腹が立つし。
一旦話始めるとねちねちとしつこくなったりもして。
運転しててもいつものように歌がでてこないし。
ため息ばかりついてます。
でも、いったい何がきっかけなのか、今日は夜にはもちなおしました。
よかったよかった。わっはっは

2001年3月20日(火)
今日はお彼岸日和で、暖かな一日でした。
母のお墓まいりに父を連れて行きました。
え〜〜〜おじいさんを連れて行くの〜〜!!
って感じでしたが、義姉はあくまでも本人の意思を尊重しようとしている様子。
しっかし大変やで〜〜と思ったが、兄もいるからなんとかなるかってことで、連れて行きました。
予想通り大変でした。なんせ、時間が待てない。
朝から、「まだいかへんのか〜〜」とどなりまくってたらしい。
道中も、信号が待てない。渋滞が待てない。
今日はお彼岸やから京都の東はどこも道が混みこみやんか〜〜
ってことを言っても通じるわけは無い。
私には怒るくせに、子供には、「こんにちは〜〜おじいちゃんやで〜」
を、車の中で3回も言った。その度に子供は「わかってるがな〜〜」って答えてた。
お寺さんにつくと、さっさと母のお墓に行く。 それはよくわかっているようだ。
そして、住職にも愛想良く挨拶している。
それだけを見たら、いったいどこが悪いのかわかりはしないだろうと思う。
おじいさんのいとこのご夫婦に会った。
「思ったより元気そうや〜またお山にのぼれそうやな〜」なんて言って貰ってる。
(実は父は元気な時は山伏の格好をして、大峯山に登っていたのだ。
そう、あの天狗のような装束で、ほら貝を吹きながら山をのぼるやつだ。)
しかし、その傍らに控えていたおばさんは、そんなことは言わない。
ただ、私と義姉にむかって、「大変やね。苦労やね。」
「これからもしばらくしんどいえ。家族が一番大変やさかいにな〜 」
「私もいろいろやってみたけど難しいな〜」と声をかけてくれた。
そう。わかっているのだ。脳梗塞の人の世話が精神面で大変なことを。
そして、これから私たちが経験するだろうことの大半がそのおばさんには見えるのだ。
そして、既に、4人の親を見送ってきたおばさんの言葉はすごく重みがあった。
がんばれ!って言うエールにきこえた。
最後に一言、「みんな、順に通る道やし〜。」
その言葉の後に続く言葉を考えてみた。
いろいろ浮かぶ。いろんな風にとれる。
避けて通れないといこと。しんどい思いをしている人はいっぱいいるということ。
みんな通るから、大丈夫乗り越えられるということ。
一種、あきらめのようにも聞こえる。
でもなんか、他に目が向いたような気がする。ありがとう。

2001年3月12日(月)
あたたかかったね〜。夜はさむくなったけど。
本日は、姑を連れてホームセンターっていうのかな、
日用雑貨や園芸用品、日曜大工用品とかが売っているところに行って来た。
姑は、近くのスーパーに買い物にいくのと、カイロプラクティックに行く以外はほとんど外出しない人です。
(あ、京おどりや都おどりにはいかはるな。)
けれど、今年はチューリップの球根を植えていなかったので、 なんだか庭がさみしいらしい。
それで、今から球根を植えても間にあわないから、既に芽の出たやつを買いにいったのだ。
ひろ〜い所に、色とりどりに並んだ各種花の苗を見て、姑はしばし興奮状態に陥ってしまった。
あれも買うこれも買うで、パンジーの苗などは、トレーごと買っていた。
(要するに20株くらいは合ったと思うねん)
その他に目的だった、チューリップ。それとなんだ?名前も知らないやつだけど、
これいいな・・って感じで買いまくる。
それに土を3袋、 肥料とか、プランターとかも。
台車があったので、それに山盛り乗せる。
私にといって、ランの鉢植えも買ってくれました。(ラッキー)
そして、最後はおじいさんにといって、玄関におく、鶴の置物まで買いました。
そして一言、「はー、なんかすっとしたわ。」
たまには、姑孝行せんとあきませんな!はい。

2001年3月11日(日)
今日は子供を連れてアニメ「ワンピース」と「デジモン」を見に行ってきた。
今日はドラえもんが初日なので、ワンピースの方が穴だとおもったのだ。
郊外にある集合型シアターで、確か8スクリーンほどある。
私としては、「ペイフォワード」だとか、トムハンクスのなんだっけ?
「I'll be back soon!」と言って家を出てから、無人島だかに行ってしまうやつ
そういうのが見たかったんだが、今日のところは子供中心。
映画が始まったら、と言うか暗くなったら、条件反射で、
寝てしまった・・・・・・・

2001年3月6日(火)
脳梗塞じいさんまた入院!
なんでやのんいったい!!
どないなってますね〜〜〜〜〜ん
介護施設からやっと帰ってこられたのにさ。
帰ってきたらうれしすぎたのかな。
食べ過ぎました。
腸閉塞の疑いだってさ。
本人も「帰る〜」って怒りまくりです。
家族も帰ってきたばかりだから、つれて帰りますって言ったんだが、
腸閉塞は命にかかわることもあるらしい。
それを言われるともうどうしようもない。
失語症の脳梗塞じいさんは、自分の思いをうまく伝えられないことと、
人が話していることが理解できないことのイライラで、
感情が爆発しております。
そりゃつらいでしょうよ。
それを思うと私もつらい。
「せめて3時間にしといてくれ〜〜〜」と看護婦さんに怒鳴っている。
それもいうなら、3日間やろ!って突っ込む気もしない。
怒りまくっているじいさんに後ろ髪をひかれながら家路につく。
出るのはためいきばかりなり!!

2001年2月25日(日)
電気屋さんへ行って、ペンタブレットを買ってきた。
子供がお絵かきをするのに、マウスだとやりにくい〜
なんて言ってたので、何気に電気屋をうろうろしていると、
ちょうどタブレットが、赤札になっていたので、
この機会に買うことにしたのだ。
けど、チョコつと横の棚をみると、赤札のものより、
タブレット面が大きくて、使いやすそうなのがあった。
最初にそれに目が行ったのは実は我が家の旦那様。
この方がええやんかっていう視線。
それを敏感に察知したぽるぽん教授は、もうそっちがほしくなってしまっている。
しかし、お値段がいただけない。
赤札のもののほぼ3倍するではないか。
しかも赤札の方にはマウスまでついている。
私自身もすご〜く心ひかれたのであるが、ここで贅沢はさせてはいけないと、
安い方にしようと提案したらば、ぽるぽんは、
それでいいよと言いつつも、 すごく機嫌が悪い。
けれど、ここは心を鬼にして、安い方で我慢をさせる。
勝ってもらえるだけで、しあわせなのだぞ〜〜〜〜
さて、そのペンタブレットでいったいどんな作品を描いてくれるのだろうか?

2001年2月18日(日)
久しぶりに、大阪の海遊館に行ってきた。
毎回、名神から湾岸線に乗り換えるときに間違える。
そしてぐるっとまわってもう一度のるのだ。トホホ
ずっと前にいた巨大なじんべいざめ君は、いなかった。
小さめのはおりましたが。
前の巨大なやつは、その大きさと悠然と泳ぐ姿に圧倒されたのですが。
その姿を見ることが出来なくて残念でした。
そりゃあそうだよね。あの巨体で、あんなせまいところにいたんじゃ、
寿命も縮まるってさね。
サントリーミュージアムで、3Dの映画を見たんだが、
みんな気分が悪くなってしまった。
ぽるぽんなどは、完全に車酔いのような状態になってしまい、
しばらくうずくまっていた。
ミクロアドベンチャーを見たときとかは大丈夫だったんだが、
昨日のは、見ていると体があっちやこっちに振り回されるような気分になり、
頭の中がグルグルしだすのだ。
私も肩が凝ってきて、胸がむかむかして来た。
他の人たちはどうだったんだろうかな?

2001年2月17日(土)
もうすぐ父が退院して、実家に帰ってくる。
退院というと、めでたいのだが、実際は非常に大変な状態になるのである。
コトバが通じないというのは、本当に不便だ。
本人は「赤」のつもりで言っているのだが、
口から出ているのは「白」だったりする。
お互いにとって、行動がちぐはぐになるものだから、
イライラがつのる訳だ。
脳梗塞じいさんのイライラは激しい。
タガが外れたように、沸騰してしまうのだ。
そのくせ、他人様にはものすごく低姿勢だったりする。
憎たらしいこと極まりないが、帰りたがっているのでずっと心が痛かった。
やっと帰れるめどがついて、こちらも精神的に楽になってきたが、
退院後は違う意味で、もっとハードな日々がやってくるのだ。
うまく筋肉やエネルギーにかえなければ・・・・・・

2001年2月12日(月)
頭の中はまだライブのことでいっぱいだ。
不思議だね〜
本当の名前も知らないたくさんの人たちと挨拶をかわして、
「それじゃあまたね」とわかれてきた。
でも本当にまた会えるように思えている。
袖振り合うも・・・・というけれど、
ネットで出会うも多少の縁
ということですね。
既に、多少を通り越した縁のかたもいるが・・・・

2001年2月7日(水)
はっぴんぐのお誕生日だ。
8歳になった。
はっぴんぐが生まれたのは
ちょうど母が亡くなってふた七日の法要を営んだ翌日だった。
母のいない実家に、私は里帰りした。
義姉が帰ってくるようにと言ってくれたからだ。
そのおかげで、母の法要に訪れるお客様にも祝福してもらうことができた。
生まれたばかりのはっぴんぐの写真のバックには
まわり灯篭がうつっている。
はっぴんぐを抱いているじいさんは、
めでたいのか悲しいのか複雑な顔をしている。

2001年1月25日(木)
二日続きで日記を書いている。
今日は母の命日である。
8年前の今日、母はこの世を去ってしまった。
とても寒い日だった。
この8年のうちに私の心は強くなった。
家族と友人達のおかげである。
私にとってはつらく悲しい日であるけれど、
母にとってはやっと楽になり、苦しみから開放された日である。
だから私は悲しまない。これでよかったんだと思っている。
それに、この日は浄土宗の開祖法然上人の命日でもある。
きっと母は法然様に導かれて極楽へと旅立ったのだと思う。
あと2週間ではっぴんぐの誕生日だ。8歳になる。

2001年1月24日(水)
今日はぽるぽんのクラスが、「ソーラン節」をわざわざよその学校まで出かけて踊るというので、 のぞきに行ってきた。
他にも4校ほどが参加しており、それぞれ趣向を凝らしたダンスを披露していました。
さてこのぽるぽんや大福ちゃんが今回踊った「ソーラン節」は、実は去年の秋の運動会で4年生全員が踊ったものである。
で、去年の日記にも書いたのだが、ぽるぽんは股関節炎を患い、やむなく運動会を欠席したのでありました。
そのときのぽるぽんの悔し涙を神様がみていたのでしょうか?
そのソーラン節が、運動会を見に来ていた他校の先生方のお目にとまり、
表現運動発表会なるものに出演することが決まったのでありました。
どのクラスが出ても良かったのでしょうが、
1000人を超える児童の中でたった一人欠席したぽるぽんのことを、
他クラスの先生方も記憶に残してくださっており、
たった一人参加できなかったぽるぽんさんがいる、4組さんがでてはいかが?
とあいなったわけだそうである。(あくまでもぽるぽんからの話で・・・)
ありがたいことであります。
しかし何ですな、このところめっぽう涙もろくなってきて、
特に子供を産んでから急激に涙もろくなってしまい、ほんの少しのことで異常に感激してしまいます。
今日も一番最初の学校のダンスを見ているだけで既にうるうるとしてしまい、
「ああ、ここの学校もいい子供達がいるんだな〜」なんて、妙に感動してしまいました。
世の中若年層の犯罪が、心を暗くしますが、今日のように楽しんで踊っている子供達を見ると、
まだまだ日本も捨てたもんじゃないな〜なんて、たいそうなことを考えた次第でございます。
4年4組のみんな!かっこよかったぞ!!

2001年1月21日(日)
寒い日が続く。冷え性の私は辛い毎日を送っております。
早く春がこないかしら〜

2001年1月16日(火)
姪っ子が、中学に合格した。
第一志望校はまだだが、とりあえずは行くところが見つかった。
手放しでうれしい。電話がかかってきたときは思わず涙がでそうになった。
中学のことだから別に公立へ行けばよいのだが、
本人が行きたいと希望して勉強してきたのを見てきたから、
是非とも合格してほしかった。
特に6年になってからは例の脳梗塞いじさんのことで、
家族全員てんてこ舞いをしていたので、実際は勉強どころではなかったのだ。
(じいさんは子供が学校に行っている間ぐうぐう寝ていて、子供が帰ってくる頃から、 活動を始める。
そしていろいろと無理難題を家族にふきかけるのだ。
コトバが通じないからお互いのストレスが大変なのだ)
だから内心私はひじょ〜に心配していた。
とにかくよかった。ほっとした。
お祝いを何にしてやろうかと、考えてはにんまりしている。

2001年1月14日(日)
「グリンチ」を見に行ってきた。子供も楽しめそうだったので。
クリスマス嫌いのグリンチの話。
先日、「ダンサーインザダーク」を見たところだったので、今回はなんだかほっとした。
云わんとするところが非常に明快だったし、見ていて辛くなかった。
子供にもわかりやすくなっていたしね。
日本じゃクリスマスといえば、 恋人と過ごす日、子供にプレゼントする日、サンタがやってくる日。
というイメージがつよいけれど、やはり本場ではちゃんと宗教的な素地があるんだね。
あたりまえのことだけど。

2001年1月12日(金)
ディズニーランドから帰ってきてから、風邪をひいてしまった。
熱はないし体もしんどくないのだけど、乾いた咳がでる。
それで、声が枯れてしまった。
そのおかげで少し桜井君モードの声になった。
1人で歌っては、にやけている。
だからのどが痛くなった。

2001年1月7日(日)
とうとう新しい世紀になリました。
新世紀だからどうのこうのということは何もなく、
ただ、穏やかに、相変わりませず、過ごすことが出来れば、
それで幸せであると思います。
しかしその、相変わりませず過ごすということすら、至難の業でございまして、
現状を維持することの難しさを思っております。
皆様、今世紀もどうぞよろしく!

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