男所帯にうじがわく

 
超過保護で育った私は、家事というものをほとんどせずに16年間をすごしておりました。
といってもええとこのお嬢ちゃんでそだったんじゃありません。
いわゆる下町育ちなんですが、 家で商売をしていた事もあって、掃除や洗濯それから食事の用意をしてくれるおばちゃんが私が生まれる前から、いてくれたわけです。
そのおばちゃんのせいにするつもりはないが、とにかく私のわがままを全部引き受けてくれるやさしい人でした。
仕事場と家とが別々になるまで、周りにいる大人達のお陰で(せいでとは書きません。書けません。)私という、超過保護で何にもできない人間はすくすくと育っていったわけです。

よく、「男所帯にうじがわく」なんていいますが、まさにそんなことがありました。
母が入院してしまうと、たちまち困るのが食事。
とにかく父と兄2人は、正月元旦の朝、雑煮を作る以外は、台所に立ったことのない人たちでした。
で、一番私がまし?ではないかという事で、私が作る事に。
今思うとすごくひどい食事を出してたんじゃないかと思います。
とはいえ、電子ジャーありーの、、だしの素ありーので、まあまあテキトーにやっておりました。
そんなある日、ジャガイモを取りに行ったら、何だがうじゃうじゃとうごめくものが・・・・・・・
そうです。うじがわいていたのです。
あまりの気持ち悪さに、吐き気をもよおし、入れ物の野菜籠ごと、ポイしてしまいました。
今なら、おじゃがさんだけとってぽいできるんですがね〜。

でも、我ながら情けなくなりました。
入院してる母に言うと、
「男所帯にうじがわく」っていうねん。
なんて言われました。おもわず、
「男所帯て、私、男ちゃうねんで〜おかあちゃん!!」って叫びそうでした。

 家事というのは食事だけじゃあ、ありません。
「お〜い、靴下ないぞ〜〜」→「引き出しの中やんか〜」
「一足もあらへんで〜」→「なんでやの〜」
こんな会話を繰り返したあと、洗濯をしないと着るものもないし、洗濯をしたら干してたたんで、タンスにしまわなければいけないのだとハタと気づいたりもしました。
そしてその洗濯は、私がしないと他にしてくれる人などいないということにも気付いたりして。

そんな風にしてそれからしばらくの間、男所帯が続くのでした。

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