一緒に神様にいのりましょう

母が最初に入院したのは、すぐ近く、同じご町内の病院。
院長先生も、外科医であるご夫人も、私が物心ついた時には我が家のホームドクターでした。
風邪をひいては院長先生、怪我をしては女医先生と、本当に数え切れないくらい診て頂いていた。

今回の母の症状は、長年の先生の経験からいっても少々特異なようだった。
肺炎のようでありながら、高熱は出ず微熱が長引き、思うように回復の兆しがみえない。
先生は母の事を学会で発表されていたらしいが・・・・

そんな中、母の病状は悪化の一方をたどるので、先生のご判断で大病院へ移ることになった。

その病院も歩いていける範囲のところではあったが、大事をとって救急車で移動する。
ところが、どういうわけかほんの数分の移動であったにも関わらず、新しい病院に移るや否や母は危篤状態に陥ったのでした。

学校から直接病院へ行った私は、ただ事ではない雰囲気に嫌な予感がした。
母の病室にドクターが5人もいる。それだけで事態が思わしくないのはすぐにわかった。
血液中の酸素量が極端にそれもどんどん少なくなっていっているという。
呼吸困難で母は瀕死の状態だった。

覚悟してくれと、ドクターから説明がある。
この調子で酸素量が減っていくと今晩・・・明日までは持たないだろう。といわれた。
何がなんだかわけがわからない。
昨夜は死の影など微塵もなかったというのに・・・・・・

かかりつけだった先生ご夫妻が駆けつけて下さった。
大病院の先生に、何とかならないかと掛け合ってくださったようだった。
無論、先生方はベストを尽くしてくださっていた。


「あとはもう、祈るしかないね。一緒に神様に祈りましょう。」
目を真っ赤にして、女医先生がおっしゃった。

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