動かないエレベーター

呼吸器の挿入に成功し、皆はひとまず安堵。
それまでの、底なしの恐怖と絶望感はやわらぎつつあった。
大勢集まっていた親族も、とりあえずは家路についた。
だがまだまだ余談を許さない状態に変わりはなく、ごく近しい者は、病院に泊り込むことに。
一つハードルは越えたものの、依然 肺の状態は最悪で、延命はできるだろうが、時間の問題で・・・・という話しか主治医の先生はなさらなかった。

待合室のソファーでは、家に帰らず母の様子を見守る人たちが、しばしの仮眠をとっている。(病室には3人までしか入れない)
数時間おきに、交代で病室に入る。
いつまでも母の手を紐で結んでおくのはしのびないということで、24時間体制でそばに誰かがついて、挿入した呼吸器を母が抜き取らないように監視することになった。

何とか命を繋いだ母は、口からの挿入ではなく、喉を切開して、酸素を供給する方法に切り替えられた。
これによって、テープでグルグル巻きの母の口元は開放され、人間らしい顔を見せることができるようになった。
口元が開放されると表情が随分とわかりやすくなる。

この事は 私たち家族にとって、一筋の希望となって、あきらめかけてた心に再び勇気を奮い立たせてくれた。
「もしかしたら、このまま助かるんじゃないか?」
そう思うと、足元から、力が湧いてくる感じがしてきた。

事実、母は、少しずつ峠を越えようとしていたのだ。
数十分ごとに採血に来られる 若い方の主治医の先生、不謹慎というのでしょうか(今となっては笑い話)、採血の度、血圧を測る度、首をかしげられる。
「はぁ〜?」って感じ。思ったより数字がよくなってきていたのだ。
アレだけはっきりと「絶対」という言葉を使って、母の命がないことを宣言されていたので、その言葉に対する責任上の「はぁ〜?」のようだった。

急にみんなに元気が出てきた。
「もしかしたら助かるんじゃないか?」から、「よし、この調子なら大丈夫!」
へと変化していった。
希望がわいてくると、食欲もわいてきた。
ろくなものを口にしていなかったので、母を少しの間親戚の人に任せて、久しぶりに家族で病院の地下食にでも行こうということになった。

一足先に父と兄二人が食堂へと向かうエレベーターに乗った。
「ちょっと電話してから行くし」と私は笑顔の3人を見送る。扉が閉まる。
興奮気味に母の回復の兆しを話す3人のうわずった声が聞こえる。
その声を後ろに聞きながら、私は電話をかけようと公衆電話へと向かった。

どのくらいたったろうか?待合室の電話なのでそう長電話はしなかったはずではあるが、それでも最低5分やそこらは話していたと思う。
とにかく、電話を終えて、父たちの待つ地下食へとむかうべく、エレベーターのボタンを押した。

すぐに扉は開いた。そこには・・・・・・・・・・
数分前と同じ笑顔のままの3人が、そっくりそのままエレベーターに乗っている!!!
降りようとする父。
「おまえの方がさきやったな」とびっくりしている兄。
「あれ、まだ6階やんけ??」とちょっと賢いもう一人の兄。
「あんたらなにしてんの?」と混乱する私。
そう、興奮のあまり、3人とも行き先フロアーのボタンを押していなかったのだ。
行く先ボタンが押されなくて、他のフロアーからの呼び出しもなければ、当然エレベーターは動きません。
私が電話をしている間の数分間、父と兄3人は、何の疑いもせずに、エレベーターは地下へと降りていると思いながら、母の話に興じていた訳です。
高層ビルのエレベーターじゃあるまいし、地下まで降りるのに何分かかってるんや!!ほんまに〜


 

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