わじゅ記

2001年12月16日(日)
子どもの人形劇がすみました。
この数ヶ月、親よりも子供の方がずっとずっと多忙でした。
プロに学ぶ人形劇体験教室というのにひょんな事から参加することになって、
イメージ作りから人形の制作、そして実際の劇の練習をしてきました。
始めはどうなる事かと心配しましたが、何度か回を重ねるうちに、メンバー同士の意思の疎通もできてきて、
何とか今日にたどり着きました。
「お客様きてくれなかったらどうしよう??」
なんて心配をしていたのですが、予想に反して満員の観客。
ホッとしたとたん、今度はこの大勢の人の前で大失敗はしないだろうか?
と、ドキドキする。
我が家の亭主はそんなことも気にせず、半分居眠りをしている。
私はというと、ただできる事は思いっきり拍手をしてやることだけ。
ハタからみると、「きっと家族だろうな?」とわかるような拍手で子ども達を応援しました。
終わってしまうと、なんていい経験をしたんだろうって、感謝の気持ちがわいてきました。
今まで経験してきたピアノの発表会だとかミュージカルの発表会、
それから学校の学芸会。
どれもいい経験だったけど、今回のは少しプロの厳しさを経験しつつ、
全く顔も知らなかった人たちとの一からの共同作業。
それから自分達の利益を度外視して協力してくださったたくさんのヘルプの方々。
その方たちの腰の軽さに頭が下がる思いでした。

劇が終わって、メンバーとのお別れを経験して、少し切ない思いの我が家の娘二人。
きっと目には見えない大切な何かを手に入れたんじゃないかしら??

2001年12月5日(水)
げげげっ!気がついたら、11月が吹っ飛んでいた・・・・・
しかし、ひどい目にあいました。喉です。
痛かったの何の。
自分の誕生日が明けた金曜日から、月曜日までずっとず〜っと、痛みと戦っておりました。
金曜日に先生いわく、
「これですんなりなおるでしょうけど、たま〜に、見当違いの時があるから、その時は月曜にもう一度見せに来てね。」
その時にな〜んか、いや〜〜な予感がしたんだよな。
ばくぜ〜んとした、いや〜な予感。
案の定、見当違いでした。
薬を飲んでもいっこうに症状は治まらない。
それどころがどうも悪化していってる。
金曜の夜、あまりの痛みでほとんど眠れず・・・・
土曜日、あまりの痛さに近くの救急病院で再度受診。
しかしそこの先生いわく、
「この処方で大丈夫ですよ。まだ効き目がでてきてないだけですよ。」
そして、その夜もやっぱり眠れず・・・・・・
日曜日、もうこの日の記憶はあまりない!
タダずっと痛みと、眠気との戦いだったような・・・・・・
そしてまた、眠れぬ夜が・・・・・・・
月曜日の夜明けをどんなに待ったことでしょう。
子どもが登校したら一目散に最初の耳鼻科へ。
先生、見るなり、「うわ〜異常事態発生やね。」
私「やっとわかってくれたのね・・・涙(・_;)」
有無を言わさず注射!!
すると1時間もしないうちに、この3日間の痛みが嘘のように・・・・
皆さん、風邪をひく時は週末は避けましょう!!

2001年10月28日(日)
衣替え、ああ衣替え衣替え。
子どものは済ませた。
私のができない。
やる気もないしやりたくもない。
日本の四季は美しいけれど、衣替えはいやでございます。
ひろ〜い、ウォークインクロゼットのあるおうちに住みたい。
「ころもがえ?しないしない」って言う宣伝があったよな。
あ〜みなみの島に住みたい。
贅沢なんかしないから、一日中ハンモックにゆられていたい。
あ、それが贅沢なのか・・・・・


学生の時にジャマイカに行ったんだけど、
あの最高にでっかい太陽を見たときはびっくらこきました。
夜はもう宝石箱をひっくり返したような星星星・‥…・・・★
プールサイドで、ハンモックに揺られながら降り注ぐ星々をみていると、
自分が宇宙の中にいるんだな〜〜って感じる事ができた。

滞在先も決めずに入国したので、入国審査のおにいさんに、おすすめのホテルを教えてもらったんだっけ。
日本人は初めてだってそのホテルのオーナーは言ってた。
コンロでお餅を焼いて、海苔巻いて、食べるか?ってすすめたら、
即座にことわられたっけな〜
その黒い紙はなんだ?って聞かれた。おいしいのにねー。
この間「あいのり」みてたら、誰だっけ男のこ二人がラブワゴンとすれ違うシーンがあって、
その少し前に写ってた所、なんとなく見覚えがあった。
もう一度行ってみたいな。
ボブマーレィーが神様の国。

2001年10月9日(火)
尊敬する人の本を読む。
何かのきっかけでその人の本を読んで尊敬するにいたり、
もっと啓発を受けたくて、 さらにその人の著作を読む。
そのうちに尊敬が盲目的になって、何が何でも受け入れてしまいがちになる時がある。
これは非常に危ない。
尊敬する人の言うことは大体において間違いはないものだが、
それがそのまま自分の人生に当てはまるかどうかははなはだ疑問である。
いつも懐疑的に読み進むのはいやらしことでもあるけれど、
何の疑いもなく、文字の全てを自分の内に取り入れようとするのもいかがなものか?
単純に言えば「いいとこ取り」をすればいいのだろう。
でもそのいいとこ取りができにくい種類の本がある。
たとえば宗教の指導者的立場にある人の本。
経済界ですばらしい功績を残した人の本。
政治で多くの支持者を得ている人の本。
カリスマ的占い師の本。
まだまだあるけど・・・・
これらの本はおおよそ、その人のポリシーがしっかりと書かれており、
そのサクセスストーリーや、苦労話は、人の心をとらえる。
実際に凡人にはできない苦行難行をされており、立派な方が多い。
まさに尊敬に値する人たちの生きたことばである。
読む人は自分もその様でありたいと思い、そのあとに続きたいと思う。
その志に共鳴し、自らも自分を律し正しく生きたいと思う人ほど、
はまっていきやすい。
しかし・・・・である。
その結果 「いいとこ取り」をすることなく、盲目的にくまなく全てを取り入れ模倣してしまうのである。
しかし実はそういう本はやもすれば案外単純なノウハウ本である場合がある。
こんな状況の時はこのようにしてきりぬければよい。
このようにすれば人の心をとらえられる。自分を高められる。幸せになれる・・・・・
読む人は、よし私も明日からそのように実践してみよう。と胸を熱くする。
でも人の生き方は百人百様、その偉人の通られた道をそのまま歩く事など実際はできない。
だからこそ「いいとこ取り」をしなければいけないのだが、盲目的にはまってしまった人はそれができない。
何もかもその人の言う通り。それ以外は受け入れられなくなる。
尊敬する人のカテゴリーから逸脱する事などできないのである。
その結果、他は何も見えなくなる。
視野狭窄である。
しかしはまるという事は居心地のよいことで、その懐に抱かれていると安心感で満たされる。
視野狭窄であろうと、他人がなんと思おうと、その世界にいる限り、自分は満たされる。
それが逃避である事も気付かずに・・・・・・
そこにはまってしまうともはや自分で考える事を放棄してしまう。
自分で考え、切り開き、失敗を重ねて自らの百様分のいちをみつけることなく、
ただただお言葉どおりに生きるのみ。
その方々は確かに立派だし、学ぶべきところがあるのだが、それにはまってしまうと、
それ以外の生き方で実は立派に生きている、名もない凡人を軽視してしまうことになる。
何にも属さず、何の偉業も残さず、何の知名度もない、しかしながら黙々とその人生を刻んでいる偉人もいる。
実はすぐそばにゴロゴロいたりする。
汚物にまみれながら介護する人。
ハンデある我が子を立派に育て上げた人。
ハンデあるわが人生を立派に全うした人。
毎年毎年たった一クラスの子供を全身全霊で教育している人。 などなど・・・・
これらの人々は、その偉業を誰に知られる事もなく、世間に認められる事もなく、
ただ、淡々と日々その与えられた役目を果たしている、
まさに名もなき偉人である。
私などは足元にも及ばない。
せめて、そういう人たちに思いを馳せたいと思う。
心に刻みたいと思う。
そして自分にとってのその役割とは何か?と、自分で考えてみる。自分で。
(あなたはああしなさいこうしなさいとカリスマの言う通りにするのではなく)
ある人にとっては子育てだったり、ある人にとっては仕事であったり、
まるこちゃんに出てくる、佐々木のじいさんにとっては木を植えることであったり・・・
そういう名もなき偉人に思いを馳せるのは、前出のような偉人の行き方の枠の中にいたのでは、
気付くことさえできない。
読むなら文学作品である。恋愛小説でもいいし、ミステリーでもいい。
文学作品を書く作家はノウハウ本は書かない。
その中にこそ、自分が体験し得なかった登場人物の人生をとおして、
自分なりに自分で考えてその生き方を自分の人生に形を変えて反映させる事ができるのだ。
人に見える偉業も偉業だが、人に見えない偉業もあるんだな・・・・

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