わじゅ記

2002年8月28日(水)

あ〜8月が過ぎてゆく。
せめてつきに一度は何か書きたい。
う〜ん。そうだな〜。今日は私の小ハゲちゃんのことでも書くか。
ストレスを受けると人によっていろいろな症状がでる。
私は小ハゲちゃんができるのが初期症状。
もっと大きなストレスを受けると、胸のあたりにしこりができる。
実際にできているのではないのだけど。
大きな飴玉をあやまってごっくんしてしまった時のような間隔が常に喉にあるようになる。
それがひどくなると、背中まで痛くなる。
それ以上ひどくなるとこれはもうお医者に行って薬を貰うしかない。
で、
小ハゲちゃんであるが、これは比較的軽いストレスを感じた時に出現するが、
だいたい4週間くらい遅れて現れる。
これは経験的にわかってきた事で、何かちょいとヤダナと思う出来事があって、
それでも気にもかけずに毎日を過ごしているのだが、発見するのがだいたいがシャンプー時。
そこだけやけにツルッとした指ざわりで、指がしっくりとそこに落ち着く感じ。
あ〜〜〜出来てる・・・・。って感じ。
いろいろと考えて見るとだいたい4週間くらい前にヤナ出来事があったことに思い当たる。

今私の頭部右やや斜め上方には、500円玉大の小ハゲちゃんがいる。
いつもよりちょいとでかい。
もううっすらと産毛なんかが生えていて、触っているとビロードのようにほやほやとして気持ちいい。
出来た時はギョギョっとするが、ビロード状態の時は結構いとおしいものだ。
そしてそれがもっとしっかり伸びてくると、手触り的には何の楽しみもなくなってくる。
タダタダ、うっとしいだけ。
髪をくくるとそこの髪だけが突出してはみだしたりする。
伸びきるまでが結構我慢の毎日になる。

今回のヤダナ、は、すぐに思い当たった。
脳梗塞をわずらった父がらみのことだ。
でも、小ハゲちゃんだけでどうやら私の心はバッチリクリアーしたようだ。
少しずつ心が強くなってくる。
今回大丈夫だったのは、とあるサイトの精神科医の言葉。
「罪悪感なんか犬にでも食わせてしまえ!
自分を大事にしてないと、相手を大事になんてできるもんか!」
そう。罪悪感に捕らわれると、小ハゲちゃんだけではすませれなくなる。
私は私をまず大事にしないことには、父を大事にしてあげる事さえもできなくなるんだな。
かなり勝手に自分のいい方に解釈して、今日も私の顔を見て怒鳴りまくる父に笑顔で応対!!


2002年7月12日(金)

世の中には、ものすごい人がいるねー。
もうなんていうか、神様から特別に与えられた何かを持ち合わせている人。
才能ということだけど。
努力もあるだろうけど、努力だけでは達成できない何かを所有している人が。
すごいな。って思うからあこがれるし、尊敬する。
自分には到底考えられない「表現をする人たち。
私が「大好き」だとチョイスしている人たちは、そういう才能を持ち合わせている人たち。
一番最初にそれを意識した人は、ユーミンでした。
私が彼女の歌を聞いたのは中学1年の時。
親友がテープをくれたのがきっかけ。ミスリムだったね。
18歳ですでにアルバムを出してたんじゃなかったっけ?
私の18歳なんて、ほんと陳腐なもんだったもんな。

ユーミンから始まって強烈に尊敬しあこがれる人がたくさんいる。
いまや私の中でその一番を締めるのはもちろん桜井和寿。
それから、矢野顕子さん、宮本輝さん、松田道雄さん
平井信義さん、萩尾望都さん、岡野玲子さん。
でも、意外な人物が実は他にもエントリーする。
書道家の村上三島さん。ピアニストの秋山幸雄さん、ギタリストの押尾コータローさん。
そうそう。ビーナスウイリアムズもかなり好き。
皆さんその道の第一人者ですな。

とはいえ、本当の本当に「大好き」な人は身近にいる。
友人だったりする。家族だったりする。ご近所だったりする。
知名度はない。けど、ものすごいパワーを持ち合わせて生きている人がいる。
介護施設でさえ、手を焼く人の世話をしている義姉であったりする。
その義姉を支えているスーパーヘルパーのあの人であったりする。
ああ、私はなんて小さな人間なんだろう。

2002年6月27日(木)

乙武洋匡さんの「ほんね」を読みました。
出版されてすぐに買ってたんだけど、本棚にしまってしまうと忘れてしまうんですよね、私。
で、突然思い出してイッキに読みました。
読みやすいですね〜読みやすいのが大好きな私。
この本は彼のHP「OTO−ZONE」
http://www.ototake.net/
に掲載された、彼の本音が一冊の本になったもの。
実はなぜこの本を買ったかというと、彼が、Mr.Childrenのファンであるから。
以前も、「OTO−ZONE」で2回ほど書かれていたので、その文章をわが手元に置きたかった。
それと、「五体不満足」以外の彼の著作を読んでみたかったからです。
そして、ありましたありました。
以前ネットで読ませてもらった、ライブへ行った時のこと。
そうそう。これこれ。
転載は禁止なので、ココではかけませんが、上のリンクから飛べます。
ところがこの本にはネットにはアップされてなかったであろうと思われるコラムが載っている。
このコラムの中にこれまた桜井和寿のことが載っていた。
名前は一切出ていない。でも読めばわかる。
そのコラムは「狼の50年後」というんだけど、そこに乙武さんの結婚のことが書いてある。
主題は結婚ではなく、愛。
このコラムがいいのよ。
ココでは引用しません。買って読んでくださいね。
乙武さんもあの歌詞に触れ、あの歌詞を思い、あの歌詞から何かを考え、何かを得た。
身近に感じてしまうな〜〜。
もしもどこかで乙武さんにあえたら、ほとんどチル仲間状態で話ができそう。(^.^)

2002年6月11日(火)

流行もの。ケッ!とか思ってるくせに結構はまってしまう。
やだなーと思いながら子供のおもちゃなんかは結局買ってしまう場合が多い。
服装なんかの流行りは、なんだかついていけないから案外はまりはしないんだけど。
ココ最近で流行りモノにはまってしまったのは、
低インシュリンダイエット。→GI値の一覧を冷蔵庫に張ったりして、おかずはやたらインゲンとトマトが増えた。
そらからマイナスイオングッズ。→これは空気清浄機を二つも買ったからかなりの出費をうんでしまった。
そして今はまりつつあるのが、チタンネックレス。
マイナスイオングッズで、トルマリンブレスやネックレスがあるので、自分の分は何とか買うのをとどめている。
しかし、娘のは買ってしまった。効くのかな?
そしてなんと言っても流行りモノで無視できないのが、本でございます。
これも過去、流行だけで買ってはみたものの、読む気もせず、ほったらかしになってるのが随分ある。
で、流行り出す少し前に、目について読んだ本が、世に出回りだすと結構嬉しいものがあるのだが、
気にはなってても、読む機会を逸していたものが、やにわに店頭に山積にされ、
何かと話題をさらっていったりすると、意固地な性格がむくむくと顔をもたげて、
おいそれと手にすることができなくなる。
かといって、やっぱり世間であれだけもてはやされているものの正体に迫ってみたい。
けど、なんだか悔しくてしらんぷりしてしまう・・・その葛藤の繰り返し。
そして、その流行も下火になる頃、そろっと隠れるように、読み始めるのが常である。
ところが、存外読んでみたらおもしろくて、為になって、超はまってしまう。
そこが私の単純でお馬鹿なところだ。
なんか腹が立つから、流行っている時は素直に読めなかったくせに、ちょいと時期がすんでしまうと、すんなり読めてしまう。
それでそういう流行の本というのは、伝統的永遠の文学とは違って、それこそすぐに飽きられてしまうのだけれど、
それでもその時は気付けずに、世間と一歩ずれてはまっている自分があとあと少し情けなくなったりする。
「脳内革命」がそうだった。これは爆発的な流行に入る前に読んだのだけど、今となってはあまり内容が頭に残ってはいない。
けれど、読んだ当時、強烈に感動して、落ち込んでいた気持ちがイッキに上向きに変わって、とってもハイになったのだけは覚えている。
「フォレストガンブ」や、「相田みつを」さんのシリーズなんかも。いまだに私にとっては大事な本だ。
過去に爆発的に流行ったのっていえば、「カモメのジョナサン」や「なんとなくクリスタル」「ノルウェイの森」
もう今となっては何も記憶に残ってはいないけど。

でもやっぱり流行るってことは、それなりの魅力があるから流行るんでしょうね。
ケッ!って横目で見てるより、とにかく手にとって読んでみると、
私みたいな複雑な文が理解できない人間にはすごく為になることが多い。
流行る本は読みやすいものが多いもの。
3人目の現役学生芥川賞作家のような複雑なものは、到底理解できない。一生かかっても。(断言)

流行もので感動したのは、「五体不満足」、「だから、あなたも生き抜いて」
そして今、はまっているのが「日野原重明」先生の「生きかた上手」。
また単純に感動しております。

2002年6月3日(月)

アニメ「名探偵コナン」で、いつも「真実はいつもひとつ!」だかなんだかそんなことを言ってる。
確かにそうだよな。ああいう事件って言うのは、本当の事実は一つしかないよな。
でも実生活では、なんだか真実ってのがいっぱいあふれてる。
対極の事柄がどちらも真実だったりする。
友達と話をしていて、「それ言えてる〜」なんて言ってるんだけど、
実はその正反対の事を言われても、「言えてる言えてる〜」なんて言うんだきっと。
でもその曖昧さに助けられて生きていると思える。

いろんな事件があったり、芸能人が急死したり、
ああ、人間ってなんてあっけなく死んじゃうんだろう。
ああも簡単に死んでしまうんだな・・・・
生きているっていうことは、とてもたくさんの条件が整ってないとかなわないんだな。
って、改めてその条件の厳しさに思いを馳せたりしている。

夜にゴキブリを見つけて、シュシュっとスプレーを吹きかけた。
弱って動けなくなった所をちりとりにとってスーパーの袋に入れて大型のごみ袋の中に入れた。
数日後のごみだしの日、スーパーの袋の中でガザゴソと音がする。
まだ生きていらっしゃった。
すごい生命力だ!と感動などはしない。
どちらかというと、その死ねない生命力に深い悲しみを感じてしまった。
私が気楽に鼻歌など歌いながら過ごしている数日間、袋のゴキブリは生きていた。
そのことが私はショックで、しばらくなんだか気分が悪かった。
シュシュッとだけしてほったらかしの人間様がいやになったりもして。
いらん殺生するなって、自分では思ってるくせに、中途半端なことしてしまってる。
シュシュとしたんなら、悪魔となって最後まで息の根を止めないとダメだったんだ。

臨終の際の母を思い出してしまった・・・・
もう助かりはしないといわれてからも、かなりがんばってたっけ。
母をそう簡単に逝かせなかったのは、私の存在だったかもしれない・・・
もっと安心させてあげればよかった。かも?
こっちはもう大丈夫だから心配ないよって。

ゴキブリの生命力から、母の生命力を思い出すなんて、私ってなんて不謹慎なんだ!!
ごめん、かんにんね、おかあちゃん。

とは言え、人はあっけなく死んでしまうもの。
とは言え、人はそうそう死ねはしないもの。
どちらも真実なのだ。

2002年4月8日(月)

先日、ぽるぽんの十三詣りに行って来ました。
京都では嵐山にある、虚空蔵 法輪寺さんへ詣ります。
好きな漢字を一文字書いて、ご祈祷を受けます。
そうして知恵と健康を与えてもらうそうです。
そして、ご祈祷がすんで法輪寺を出たら、嵐山の渡月橋を渡りきるまで後ろを振り向いてはいけないのです。
ふりむくとせっかくいただいた知恵を落とすと、言われております。

何とかふりむかずに渡月橋を渡り終えてほっと一息のぽるぽん氏
すっかり桜が終わっておりました。とほほ
着物はなんと30年前私が着た、まるで骨董品のような代物。
しかし、はっぴんぐの時もこれでいこうと思っているせこい私。

2002年3月25日(月)

はっぴんぐは鉛筆をすごく短く持つ。
もう少し上を持った方がいいのに〜。っていつも言うんだけど、いっこうになおす気配はない。
でもって、お箸もそう。
真ん中より下で持つ。
だから、お箸使いがすごく下手。
骨付きの魚なんかとっても食べにくそうだ。
でもね、お箸に関しては何も口出ししない。
何故かっていうとね・・・・
私が高校生くらいの時、「、お箸を上のほうで持つと遠くにお嫁に行く。」
って話を誰かに聞いたんだよね。
で、その話を食事の時にしたんだよ。家族に。
そしたら、母が、無言で私のお箸をグイって、短く持たせ変えたんだよね。
無言でっていうのが、すごく気持ち入ってて、私は苦笑いしたのを覚えてる。
そのかいあってか、私は実家から車で15分ほどのところへ嫁ぎました。
今になって母の気持ちは痛いほどわかる。
そんなの迷信にきまってるけど、お箸を持つ手を見ては、
「よしよし、これなら、市内はかたいな」
なんてニヤニヤしてる。

2002年3月10日(土)

最近はまっているものがある。
それは、キムチ。
結婚してから食べられるようになったのが、納豆とキムチ。
とはいえ、キムチは積極的に食べたい。とは思わなかった。
ところが、ココ最近毎日ように食べてます。キムチ。
どうして今まではまらなかったのか。それは簡単。
はまるほどにおいしいキムチに出会ってなかったのでした。
いつだったかテレビでキムチの効用について放映していて、とにかくマルチ的に健康にいい。
ガン予防、高血圧予防、血液サラサラ効果。(納豆もそうらしいね)
それで、これは是非とも食べなきゃとおもって、少し食べる機会がふえたんですが、
なんせ、翌日の強烈な口臭の事を思うとなかなか勇気がいる。
結婚するまで食べなかったのは、これが原因だといえる。
結婚してしまえば、当然パートナーも食べる訳で、何気兼ねなくいただける訳。
けど・・・・我が家は娘が二人。
ともにキムチ好きにそだってしまいました。
学校で、くさいって言われたらかわいそうだとおもい、にんにく系のお料理はお休みの前の晩くらいしか、出せませんでした。

ところがとあるキムチ専門店で買ったのがすごくおいしくて、はまってしまいました。
そのお店ずっと前から知ってたんですが、キムチなら、スーパーで売ってるじゃないかってことで、
わざわざそこまで出向いて買いに行くことはなかったのです。
しかしある日、旦那が誰かからその店はおいしいという情報を仕入れたようで、買ってきてみては?ということに。
おいしかった。
全然スーパーのと味がちがったよ。
コクがあるんだよね。後味も嫌な感じしないし。(たぶん味の〇つかってないんじゃないかな?)
それで辛いんだけどほんのり甘いんだよ。
で、問題は口臭。
始めのうちはりんごむいたり、牛乳飲んだりしてたんだけど、だんだん面倒くさくなってきた。
そういえば旦那の会社の人で、コリアンジャパニーズの人がいる。
その人の奥さんがつけるキムチがこれまた最高においしいって、良く自慢してた。
作り方を教えてよって聞いたら、そんなものは紙に書いてそのとおりにしたからおいしいってもんじゃなくて、
その人その人の味があって、それは口ではなかなか伝えられないって言うようなことも言ってた。
でもね、私はふと気が付いたんだ。その人の口臭ちっとも気にならなかったんだわ。
なぜだろう??どうして??
勝手に決めつけた結論は、毎日食べると、におわなくなるんじゃないか??ってこと。
たまに食べるから、臭うんだ。胃もビックリするんだ。
毎日食べりゃ、きっと無臭化してしまうんだ。きっとそうだ。
勝手にそう思うと、なんだかりんごも牛乳も邪道なような気がしてきた。
で、そのかわりといってはなんだが、毎日のように食べている。
だんだんにおってないような気がしてきている。
これって、錯覚??
誰か確かめて??ハァ〜〜って、するから。


2002年3月1日(金)

なんてこった。年が明けて、丸々2ヶ月わじゅ記を忘れておりました。
いや、正確に言うとわすれてたのではなくて、気にはなってましたが、知らんふりをしておりました。
はっきり言いましょう。めんどくさかったんです。さぼってました。
その間、毎日バタバタしている割には何もかたづかず、いったい私は何をしてたんだろう?
あれやこれやしなくちゃならない事が山積みだし、
あんな事もこんな事も挑戦してみたいし。
なのに、どれ一つできないまま、ただただ時間と生活費を浪費しておりました。
はぁ〜。ホントなんとも情けない毎日をおくっております。
そして変化したことといえば、
子供の身長と髪がのびて、
私のしわが増えたくらい。
けど、世界で起こってることを思えば、この上なく幸せなことなんだな。これが。



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